令和7年度 一游

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一游誌の配信方法変更についてのご報告とお願い

一游会 会長 髙田 明夫(51回生)

拝啓 初秋の候、会員の皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。長きにわたりご愛読いただいてまいりました「一游誌」につきまして、このたび配信方法を変更することとなりましたのでご報告申し上げます。

去る令和7年6月28日に開催いたしました一游会総会において、会員の皆様のご理解を得て、紙面による郵送を終了し、今後はホームページを経由してダウンロードいただく形に切り替えることを決議いたしました。

この決定に至りました背景には、近年の郵送費の高騰による会計上の負担がございます。限られた予算の中で、各種水泳大会の運営協力や現役生支援に充てる費用をより確保するためにも、会費の有効活用が不可欠となっております。また、環境への配慮から紙媒体での受領を辞退される会員も年々増えており、時代の流れとしても電子化が望まれております。

もっとも、急な変化はご負担となる方もいらっしゃることを考慮し、本年度は従来通り第54回生までは紙面の郵送を継続し、それ以降はWEB版一游誌として発行を続けてまいります。

一游会は、創刊以来70年にわたり、世代を超えて水泳部の歩みを記録し、会員を結びつけてまいりました。この伝統を途切れさせることなく、むしろ次の時代へ確実に引き継ぐための一歩が今回の決定であると考えております。どうか趣旨をご理解いただき、今後とも変わらぬご協力とご厚情を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

なお、一游誌オンラインは以下のサイトからダウンロードすることが可能です。
一游オンライン (会員制サイト) http://ichiyuu002.inocaodds.com/ ユーザ名:kudan パスワード: ichiyuu

 


「一游のデジタル化によせて」

『2025夏もろもろ』
39回生 須貝洋一

 

今年は1985年日航ジャンボ機事故から40年目だという。当時連日このニュースを見聞きするうち犠牲者名簿と共に、その一人の遺族の父親のインタビュー映像が気になった、犠牲者和田氏は1967年の十六校100Frの優勝者(都駒場)であったからだ。ちなみに私はその大会予選で東附の浅野氏と同タイム7位だったこと、その浅野氏とは卒業十数年後に大森で偶然再会したことなど思い返していた。

今号で紙媒体の『一游』発行が終了するとのこと、費用等のことを勘案するに致し方ない気もしないではない。何となく寂しい気もしないではない。我が家には九段入学の1965年から2024年までの60年分のバックナンバーがある。10年分を合本製本したものが5冊と2015年から2024年の10冊である。今号2025年版を加えて6冊目の合本を来年春ごろ予定している。

嘗て『一游』一番の活用部分は名簿住所録にあった。なぜならOBからの寄付集めに必要欠くべからざるものであったからだ。衆議院議員をはじめ旧丸ビルにある会社社長、美術館館長、有名写真家等事前にアポが必須であった。その名簿住所録も2020年を最後に掲載できなくなってしまった。

現校舎になって久しい、それでも旧校舎を覚えている者はまだ大勢いる。1961年若尾文子主演 川島雄三監督映画『女は二度生まれる』で靖国神社の生垣と旧校舎を背景に若尾と共演の藤巻潤のシーンがあるのを10年ほど前4Kデジタル版で観たことがある。また70年代のピンク映画かロマンポルノで女子高生に扮した女優が旧校舎から出てくるシーンがあってなんか複雑な気分であったのを思い出す。3年ほど前埼玉県立近代美術館に行った折、小村雪岱 昭和8年の作品に『第一東京市立中学校校舎』と題する作品があり、坂の途中から仰ぐように左に暁星、中央屋上に校旗はためく姿に目が止まった。

映画もフィルムからデジタルに、紙媒体雑誌は廃刊が続き、我が『一游』もデジタルに、必然ということか。先日自分の仕事で宅急便を利用した。翌日着で伝票に日比谷公園の隣の住所をはっきり書いた。しかるに発送物は届かない。調べるに、なぜか岡山にあるとか、デジタル入力ミスにより麻布から岡山経由で3日掛かりで日比谷公園隣へ、便利だけれどデジタルはちょっと怖い。

 

『一游』最後の冊子に寄せて
57回 小松崎(萩原)由美

 

今年の夏、一通の封書が届きました。差出人は一游会63回・南川氏。開封すると、丁寧な文面で「最後の冊子発行にあたり、原稿をお願いできませんか」との依頼が。諸事慌ただしく過ごす中、文才もない私は「エッ!?ちょっと無理だわ…」というのが最初の正直な気持ちでした。

しかし、20有余年前。自分が『一游』の編集に関わっていたあの頃、私も諸先輩方に原稿をお願いしていた身です。お忙しい中、無理を押して協力してくださった先輩方の顔が浮かび、「簡単には断れないよなあ。でも…」と、一人葛藤の日々。締切は8月末日。まるで“夏休みの宿題”のような気分です。20年以上も前のことはすっかり忘却の彼方。何を書けばいいものかと悩みながら、本棚に保存している歴年の『一游』を次々にめくってみました。

思い返してみると、あの頃は今と比べ物にならないほど、パソコンの性能やネット環境が不十分な時代でした。ちょうど、原稿を紙で印刷所に持ち込む形態から、データで校了するように変わった頃です。編集に携わる私たちのパソコンスキルも未熟で、不慣れな作業に戸惑いの連続。原稿が集まらず焦ったり、レイアウト調整や印刷所とのやり取りに困ったり、手書きの原稿をパソコンに打ち込むのに手間取ったり。まさにギリギリの綱渡りでした。そんな中、先輩方から届いた思い出話に笑い、発行担当の新卒の皆さんや若手後輩たちと試行錯誤したことなど、今となっては楽しく充実した時間の記憶です。

脈々と発行され続けてきた『一游』。私が関わらせていただいたのはその長い年月のわずか数年です。そもそも諸先輩方の熱意で『一游』が冊子として発刊され、それに続く人たちが毎年、毎年、順に編集を担当してくれたからこそ今日まで続いてきた。その重みを改めて感じています。寄稿された様々なエピソードを通じて、世代を超えた共感が生まれる『一游』は、稀有で大切な存在でした。

『一游』が冊子からデジタルへと形を変えることは、大いに寂しさがありますが、これも時代の流れでしょう。そして、時代に合わせて進化している一游会の姿には頼もしさも感じます。最後の冊子発行に際し、こうして『一游』を振り返る機会をいただけたことに、今は心から感謝しています。

この原稿も、締切ギリギリで書いているあたり、私は進化していないなぁと苦笑しつつ。そんな自分の“宿題”が、誰かの懐かしい記憶に触れるきっかけになれば嬉しいです。

 

世代を超えて繋がる絆
57回生 臼田光志

 

私が「一游」の編集に携わったのは、6年ほどでした。同期の小松崎さん(旧姓:萩原)が結婚されて大阪に転居されることになり、私が一游会のサポートを全面的に引き継いだことがきっかけです。仕事をしながらの活動は大変でしたが、今思えば、かけがえのない時間でした。現役の高校生から社会で活躍する大先輩まで、世代を超えた多様な人々と関われたことは、他ではできない貴重な経験でした。

住所変更の追跡や消息不明者の調査といった地道な作業は決して楽ではありませんでしたし、せっかく連絡先が判明しても、「一游会とは縁を切っている」というご意見をいただくこともありました。しかし、卒業以来会っていなかった方に再会したり、私の知らない、戦後の「ザ・昭和」の時代のお話を聞けたことは、大きな財産となりました。一游会の活動を通じて、それまで面識のなかった先輩方と新たなつながりが生まれたことも多数ありました。

また、若い世代との交流も大きな喜びでした。当時の大学生として、私との窓口になってくれた75回生から80回生の皆さんには大変お世話になりました。特に、角田兄弟、植木、鈴木、大橋、臼木、玉木、矢島、浅田、安達、岩田、猿田、田代、稲村、大倉、小松、押久保、小鍋、前川…思い出すままにお名前を挙げてしまいましたが、この方々には、「一游」の活動だけでなく、様々な面で手伝っていただきました。ほとんどが女性というのも昭和世代の私には戸惑いしかなかったです。私のころは男子が女子の2倍いましたから。

当時、ハラスメントという概念が世間で認識され始めた頃で、若い方との距離感に迷うこともありましたが、焼肉を食べに行ったり、お酒を飲みに行ったりと、同じ時間を共有する中で、九段水泳部という共通の経験が世代間の垣根を低くしてくれたのだと思っています。ただの先輩後輩という関係を超え、同じ「水泳部」というファミリーの一員として、強い絆を感じられたことも、私が今も一游会や至大荘行事に関わっている理由の一つです。

この経験は、私の人生観にも大きな影響を与えてくれました。

正直なところ、文章を書くのも編集するのも苦手で、手書きの原稿を印刷所に入稿するために文字起こしをするのは、最も時間がかかり、自分の不勉強を反省することになるような作業でした。しかし、同時に多様な世代から寄せられる寄稿文や近況報告を読むことは、大きな喜びでもありました。水泳部で培った努力やチームワークが、それぞれの人生にどう活かされているのかを知るたびに感動しましたし、私が高校一年生で水泳部に入部し、今に至るまで感じ、大事にしている家族や仲間を大切に思う温かい心でした。

「一游」の編集は、単なる冊子作りではなく、水泳部という枠を超え、世代を繋ぐ温かい絆を再確認する作業でした。この貴重な経験を通じて、私は、人生は仲間と共に困難を乗り越え、人生という海を渡っていくものだと感じました。そして、その過程で築かれる繋がりこそが、私の人生を豊かにしてくれたと今は確信しています。一游会の皆さま今後ともよろしくお願いいたします。

 

紙版『一游』の最終号発行について
 65回生 河又 勲

『一游』(平成7年度版)の発行をさせて頂きました65回生河又です。この為、紙版『一游』が最終号を迎えるにあたり、当時の思い出等を寄せさせて頂きます。

私は平成3年に九段高校に入学し、迷うことなく水泳部に入部しました。というよりは、水泳部に入部する為に九段高校を受験しました。(入学前の中学3年の3月に水泳部の練習に参加した程です。)私の代は当時、学区制が敷かれていましたが、私のひとつ下の代からはコース制が導入される事となり第一学区(千代田区、港区、品川区、大田区)以外の地域からも生徒が入学して来る事となり、初年度(平成4年度)は女子生徒が異常に多くなり女子だけのクラスが2クラスもある、そんな状況でありました。

『一游』は、私が現役当時から卒業後数年までの間は、卒業2年目の代ですべて制作し、原稿を印刷会社へ持ち込み、発行していました。平成7年度版の『一游』も同じように卒業2年目の我々の代で制作、発行しました。印刷会社は当時私が住んでいた大田区にありましたので、何度も自転車で原稿を届けて、推敲して、また届けるといった事を繰り返しました。

当時の『一游』は、学校長、水泳部顧問の先生、河童の便り、森先輩(26回生)、佐藤先輩(45回生)、特集「記録」への寄稿、観海亭亭長、水泳部ヘッドコーチ等から原稿を頂き、それをまとめさせて頂きました。

特集「記録」は私の一存で、まだお会いした事もない正山先輩(49回生)と、とても身近なスーパースターの吉崎先輩(64回生)に原稿をお願いしました。お二方とも快く引き受けて下さいました。その節はありがとうございました。正山先輩は、私より16コも上の先輩ですが、私が現役の際も正山先輩の記録が当時の水泳部校内10傑に残っており、ものすごい選手だったのだと容易に想像が出来ました。その為、どうしてもお話をお聞きしたく、原稿を依頼させて頂きました。吉崎先輩は、ご自身が特集「記録」の中でも書かれていますが、16校大会で800Frを九段高校が3連覇した3人の方々(緒方先輩(62回生)、山口先輩(63回生)、吉崎先輩)のうちのお一人です。さらに正山先輩同様、すべての種目が速く、いわゆる水泳部のエースでしたので、原稿を依頼させて頂きました。お二人から頂いた原稿はどちらも素晴らしく、制作側としましては原稿を依頼して良かったと感じました。

『一游』の構成としましては、「記録」について特集しましたので、OB戦のOB・OGの記録や、16校大会の大会記録などを合わせて載せさせて頂きました。さらに同期の野津さん(65回生 旧姓高徳さん)や、中太さん(65回生)などに挿絵や表紙絵、裏表紙絵の作成をお願いしました。『一游』の制作は、卒業1年目の秋頃から取り掛かりましたが、完成までに約9ケ月ほどかかりましたが、とても良い経験になりました。

そして特筆したい事項は、「水泳部逍遥歌」についてです。私が調べた限りでは、昭和54年度の『一游』にはその掲載がありましたが、その前後には数年に渡り掲載がありませんでしたので、これを機に『一游』に復活させて頂きました。

その後数年してから、10傑が20傑に拡大された際、掲載されているデータが少なかった為、過去の『一游」を参考にデータを集めましたが、その当時の作業は、正直、あまり記憶に残っていません。そしてさらに、樹立年月日が追記されるようになりましたので、再度過去の『一游』を参考にデータを集めています。

この度、紙版『一游』が最終号となり、非常に感慨深いものがありますが、今まで発行に携わって来られた方々、本当にお疲れさまでした。今後はweb版『一游』を楽しみにしております。

 

「一游」の作り方 
63回生 南川卓也

 

冊子の「一游」が今年までとなりました。印刷所はコストを抑えるようにとても頑張ってくれたのですが、郵送費の高騰は抑えられませんでした。紙版は無くなりますが、PDF版やウェブ版はこれからも続きますので、今後はそちらで楽しんでいただけたらと思います。

紙版の「一游」が最後ということで、作り方を最後にメモしておきたいと思います。

毎年秋に発行するために、春頃から制作が始まります。

3〜4月、会員同士の近況を伝え合う「河童の便り」の原稿を募集します。メールでもらえればそのままコピペしてまとめるのですが、時々手書きのお手紙や葉書が届くことがあります。そのときは、パソコンで書き起こしをして、ワードの原稿データにまとめます。最近はSNSが盛んで、みなさんそちらで交流されるので、投稿がめっきり減ってしまいました。

ほかにも特集記事が企画されれば、座談会や取材依頼、原稿依頼をおこないます。座談会の場合は、企画によって4名ほどに集まってもらいます。居酒屋を予約して、テーマに沿った座談会をおこないます。後日、原稿を取りまとめて、参加者に確認。コロナ禍で座談会が難しくなり、私自身も多忙で動けなくなったのもあり、座談会企画が減ってしまいました。

8月、84回生の飯島さんから、コーチの報告、戦後20傑や新入会員、表紙イラストなどがデータで届きます。

その後、63回生の山口さんから最新版に更新された名簿のPDFデータが届きます。また、会計担当の土屋さんから会費を支払っていただいた方の名簿が届きます。総会で変更のあった会則、役員のページも更新します。

全部のデータが揃ったところでページを並べていきます。

特集や座談会、「河童の便り」、新入会員の紹介、コーチからの報告のようなテキスト中心のページは全部ワードにまとめます。紙は B5の縦書き2段にして、文字サイズやフォントを整えて、並べ直します。このころにはページの順番やボリュームを設計する「台割」も作成します。台割を眺めながら、ページの開きなどを確認。例えば、新入会員の紹介が2ページだと裏表になったらダメ。見やすく見開きにしないといけない。その前後であらかじめ撮影しておいた埋め草の写真画像などを入れて調整します。「河童の便り」でも、人名がページの頭に来るように、やはり調整します。

印刷所には、反射原稿として入稿をしていました。全部のページが揃ったところで、きれいにプリントアウトをして、台割を添えて、印刷所へ渡します。印刷所では、プリントアウトされた紙をスキャンして、割り付けをしながらノンブル(ページ)をつけてくれます。コロナ禍の間に実際会わずに済むようメールで入稿可能になりました。

表紙のイラストもスキャンされ、表紙の紙へ印刷されて、中身のページと合わせて製本されます。表紙の色は、過去10年分くらいの履歴を見て、似た色が続かないように印刷所の担当者と相談して決めていました。

部数は、送付不要と連絡があった方を除いた約450名の一游会会員と、現役部員の約60名で合わせて500部強を印刷していました。

印刷所から出てきた冊子は、会員分は愛知県のダイレクトメール発送業者へ郵送されます。山口さんが管理する住所データから宛名ラベルを作成してもらい、透明ビニール封筒に封入されます。その他の封入物がある際も、一緒に詰めてもらいます。発送物が整ったところで、請求書が届きますので、会計担当の土屋さんに振り込んでもらう。先方で入金が確認されてから、ヤマト運輸や郵便で発送開始になります。

残りの60部は九段中等教育学校へ送られて、現役部員に配られていました。これは数年前からPDF版で見ていただくことになりました。

10月頃、このような流れで、みなさまの手元へ「一游」が届きます。

そのころにはOBOG戦があるので、来年用に写真撮影をしておきます。

以上が、「一游」作成のサイクルでした。


河童の便り

40回生 梅本 高士

昨年、会社を引き継ぎ悠々自適となったはずですが、何かをやっていなければ収まらないたちで、また新しい会社を立ち上げて、忙しくやっています。プールに出かけることはほとんどありません。
皆さんの元気な活動報告を楽しみにしています。

 

63回生 山口 晃平

一游会の副会長と名簿管理人をやってまいりましたが、
気が付けば軽く10年を超えてしまいました。
組織として、この状況は極めて不健全だと思います。
そろそろ、若手にバトンタッチしないと、
取り返しがつかない事になってしまう予感が....。
引き継いでもイイよという方がいらっしゃいましたら、
お声掛けください!

 

63回生 南川 卓也

一游会の広報の仕事を30代から続けてきましたが、10年以上経っており、もう50代。冊子の『一游』が廃刊になるのもあり、今後は「外注先」のように技術的なサポートに徹して、運営や方針は若い世代に引き継いでもらいたいと願っています。
周年行事についても85年、90年、95年と3回携わりました。次回の一游会百周年パーティはなるべくタッチしないで、こちらも20〜30代くらいの若い世代で仕切ってもらえればと思っております。

 

65回生 河又 勲

皆様、ご無沙汰しております。昨年11月末に吉見さん(66回生 旧姓吉田さん)からお誘いを受けて、水泳部のOB・OGの方々(約15名)とお会いする機会がありました。参加してみると、中には久し振りにお会いする方もいましたが、直ぐに名前を思い出す事が出来ました。非常に楽しい時間となりました。

その後、今年の2月に約30名の方々とお会いする機会につながりました。約30年振りにお会いした方もいましたが、こちらの会も、色々な方々とお話が出来て時の流れを全く感じさせないくらい楽しかったです。幹事の方々、色々とありがとうございました。

近年、暑さや寒さが異常となっておりますが、皆様、身体には十分お気を付け下さい。

 

 


 

「赤司さんエージシュートを祝う会」報告
— 一游会有志、菊友会有志による合同祝賀会 —

髙田 明夫(51回生)

2025年7月24日、私たち一游会有志、菊友会有志による20名による合同で、「赤司久雄さん(34回生)のエージシュート達成を祝う会」が開催されました。

赤司さんは、一游会80年記念式典(2009年)の総指揮、菊友会では、理事、理事長、会長を務め、法人九段の理事(~2025年)、学校経営評議会会長(~2023年)と数多くの役職を水耕しながら、九段の現役、OBを支援してきました。現在の至大荘をささえる助手たちへも支援していただいて、貴重なアドバイスをしていただいています。

このような幅広い活動から、赤司さんを慕う人が多く、一游会だけでなく、菊友会からも篠原理事長、伊井副理事長も参加いただき、この会を実施する運びとなりました。

赤司さんは、75歳のお誕生日当日に、川崎国際生田ゴルフクラブで見事エージシュートを達成され、以降も通算5回という快挙を成し遂げておられます。会の冒頭では、ご本人からこれまでのゴルフ人生やラウンド記録、体力維持の秘訣などを丁寧にご紹介いただき、その情熱と継続力に、会場は感嘆と尊敬の空気に包まれました。

赤司さんは、43年にわたり2,400回以上ラウンドを重ねてこられ、訪問されたゴルフ場は国内外あわせて250か所以上。週1回のペースを保ち続け、平均スコアを記録し続ける姿勢には、ただただ頭が下がる思いでした。

また、赤司さんの健康の源である水泳についてもお話がありました。高校時代の水泳部で鍛えた基礎体力をベースに、現在も週に数回スイミングクラブで泳いでおられるとのことです。「怪我をしても、運動を続けることで取り戻せる」という言葉には、運動の大切さとご自身の実体験が詰まっていて、多くの参加者がうなずいていました。

会のなかでは、赤司さんの記念盾が贈呈され、先輩方からの祝辞や、参加者それぞれの近況報告・ゴルフ談義などが続きました。とりわけ印象的だったのは、参加された皆さまが赤司さんとの思い出を楽しそうに語りながら、どの話題にも自然と笑顔があふれていたことです。ゴルフのスコアを報告し合うなかで、「赤司先輩のようになりたい」と語る後輩の姿もあり、まさに世代を超えて刺激と敬意が伝わるひとときとなりました。

「赤司さんがいるから、みんなが集まり、話が弾み、つながりが深まる」。そんな声も聞こえてくるほど、今回の祝賀会は赤司さんの人柄と功績を改めて実感する場となりました。

参加者の集合写真も撮影し、皆さまの笑顔を収めました。写真データは後日アルバムとして共有される予定です。

ご都合により今回参加できなかった皆さまにも、この温かく和やかな雰囲気が少しでも伝われば嬉しく思います。

そして何より、赤司さん、本当におめでとうございます。これからもどうぞお元気で、私たち後輩にその背中を見せ続けてください。

 

菊友会 一游会
1 高3回 中川 繁 11 高11回 津村 徹
2 高17回 楫取能彦 12 高11回 藤本弘子
3 高21回 新田康男 13 高12回 山口洋右
4 高21回 大貫康二 14 高15回 赤司久雄 (主賓)
5 高24回 伊藤洋子 15 高16回 中太昌子
6 高24回 鈴木康雄 16 高18回 高田佑次
7 高24回 高月清司(当日欠席) 17 高19回 村山勉
8 高27回 篠原慎一 18 高19回 武田雅利(幹事)
9 高27回 伊井希志子 19 高20回 須貝洋一
10 高30回 平野清一 20 高21回 金澤幸子
21 高32回 高田明夫(副幹事)
22 高38回 臼田光志(副幹事)

 

*当日参加できず、カンパ参加

菊友会会長 猪俣弘司さん(24回)・菊友会副会長百束英二さん(25回)・中井健一さん(27回)(菊友会副理事長)、佐藤美佐保(高29回)(菊友会事務局)、高井厳(33回)(菊友会理事)佐々木幸一(38回)(菊友会理事、一游会)の6名

 

写真

https://photos.app.goo.gl/Cuc64m5x7agZcNAe8

 

(左は元菊友会会長高17回 楫取能彦さん、右は、主賓:赤司久雄さん)

(出席者最年長:高3回 中川 繁さん)

(出席者最年少:高38回 臼田光志、当日は受付、会計を手伝ってもらいました。手前は、高18回 高田佑次さんです。)

(参加者全員の集合写真です。)


海と笑いと、世代を越えたひととき

オーシャンスイムの魅力

今野 隆幸(60回生)

潮の香りが頬を撫で、波のざわめきが耳に届く。夜明け直前の空が紫、青、赤、オレンジと少しずつ色を変える中、地元・神奈川の海で泳ぐ。オーシャンスイムの魅力は、日ごとに変わる海の表情にある。波の音しか聞こえない穏やかな朝の海、午後の西風にざわめく少し荒れた海、潮の流れで濁り視界がほとんど利かない日もある。思ったより波が高く、泳ぐのを断念することもある。だが、そんな日があるからこそ、穏やかで泳ぎやすい日の喜びは格別だ。

鵠沼・江の島の海は、常に美しいわけではない。濁って何も見えないことも多く、命の危険もあるため、遊泳可能でも潮の流れを考慮して泳ぐのをやめることもある。けれど、潮の流れが変わり海が澄んだ日には、青や銀色に輝く魚たちが目の前を泳ぐ。その瞬間の感動は言葉にできない。アジの群れ、カマス、クロダイ…顔の横を通り過ぎる魚たちに、思わず「おおっ」と声が漏れることもある。昨年は、人生で初めてアジに鼻を甘噛みされるという珍事件も起きた。その話を妻にすると、彼女はお腹を抱えて笑い転げ、「まさか鼻をアジに噛まれる日が来るなんて」と困惑と笑いが入り混じった表情を見せた。私もつられて笑った。

オーシャンスイムに挑戦したのは、同期の土門に誘われたのがきっかけだった。高校時代、大学での助手等、至大荘以来、自然そのものである海での遠泳を完泳する喜びは、競泳とはまた異なるものだ。以来20年以上、逗子海岸での湘南オープンウォーターに毎年参加し続けている。泳ぐ楽しさだけでなく、大先輩の高田さんや藤井さん、現役時代のヘッドコーチ臼田さん、10歳以上あるいは20歳以上若い後輩たち、世代を超えた仲間と泳げる喜びも格別だ。一度海に入れば、波に身を任せて前に進む感覚は皆同じ。スタート直後の500mはもみくちゃになり、過呼吸になる人もいる。自分は大した泳力もないので、もみくちゃを避けながら泳ぐが、歳の変わらない50代の後輩たちは、そこをかき分けて上位を目指す。その姿、南川さんや山口さんには「すごいな」と毎年感心させられる。

ある年、後輩が「復路は潮に流されましたね」と言うと、私は「何とか潮の流れをつかんだよ」と返す。すると後輩たちは「今年はちょっと速かったですもんね」とニヤニヤしながら答えた。こうした会話は毎年異なり、小さな変化かもしれないのだが、その年ごとのドラマがあるから面白い。

完泳の達成感も格別だが、泳ぎ終えた後、仲間と過ごす時間が日常の疲れをさらに洗い流してくれる。いつものレッドロブスターで食事をしながら、当日の潮の流れや練習状況、他の大会への参加、過去の失敗談まで、笑いながら語り合う。ある年、後輩が「小波があって塩水を何回も飲みました」と大げさに話すと、高田さんが「いやいや、今のビールの方がよっぽど飲んでるよ」と突っ込み、全員が大爆笑。笑い声の中で世代を超えた絆を感じる。

私にとってオーシャンスイムは、単なるスポーツではない。海と戯れ、仲間と笑い、達成感を共有することで心が満たされ、来年への活力が湧く。毎年繰り返されるこの習慣は、日常の延長線上にある特別なひとときであり、人生の小さな喜びの連鎖だ。夕日を背に海を見つめると、透明な海に笑い声と達成感が混ざり合う。波に揺られながら、来年もまた海に向かい、仲間と共に泳ぐのだと心に決める。鼻を甘噛みされるかもしれないけれど、それもまた楽しみのひとつだ。 (60回生 今野 隆幸)

 


世界マスターズ水泳2025シンガポール 参戦記
World Aquatics Masters Championship Singapore 2025

正山 堯(49回生)

2025年8月14日、シンガポールの熱気あふれるプールサイド。各国から集まった選手たちの緊張と高揚が入り混じり、会場全体が独特の空気に包まれていました。私は240歳区分(私は66歳)で二つのリレー種目に臨みました。

最初のフリーリレー。スタート台に立つと、場内は静まり返り、秒針のような緊張感が流れました。飛び込み、仲間にバトンをつなぎ、ゴールした瞬間、電光掲示板に日本新記録の文字が浮かび上がりました。

歓声が湧き起こり、耳をつんざくような拍手が響きました。従来の記録を1秒以上更新したタイムは、かつてオリンピアンの坂大平氏、高橋繫弘氏、隅田敏司氏らが築いた記録を超えるものでした。その瞬間、胸にこみ上げるものがあり、仲間と抱き合った時には、喜びと感謝で言葉を失いました。

続くメドレーリレーでも3位入賞を果たし、表彰台から見下ろすプールと観客席の光景は、今でも鮮明に心に焼き付いています。

 

今回の成果は単なる記録更新以上の意味を持っています。2018年以降、私は幾度も命の危機に直面してきました。

  • 2018年:脊髄の異常で右足首が動かなくなり、7つの病院を巡って7か月後に回復。
  • 2019年:心臓病で8度の手術。
  • 2022年:大腸癌と盲腸癌の手術で腹膜炎を発症。目を覚ました時、ICUのベッドの上で両手両足を縛られ、腹部には30cmを超える傷跡、10本以上の管が身体に突き刺さり、まさに死と隣り合わせでした。
  • 2023年:前立腺癌で放射線治療。
  • 2024年:副作用で尿が出なくなり、再び死を覚悟。
  • 2023〜2025年:癌治療薬による副作用で全身の関節が痛み、力が出ない状態が続きました。

そして2025年5月、長い治療薬投与がようやく終了。そこから徐々に体に力が戻り、奇跡のように世界マスターズに間に合わせることができました。レースを終え、表彰台に立った瞬間、今までの苦しみや涙が一気に溶け出すようで、自然に頬を伝いました。「生きていてよかった」と心から思えた瞬間でした。

私の水泳の原点は、九段高校に入学したときに始まった水泳部での活動です。九段高校水泳部、一游会、そして当時の先輩方やコーチの皆さまに育てていただいたおかげで、今の私があります。特に、大学生になってからも練習の場を提供してくださった水野先輩には深く感謝申し上げます。

こうして会場で味わった歓声と拍手、仲間との抱擁、そして達成感は、私一人のものではありません。九段高校水泳部、一游会の歴史と絆が後押ししてくれた成果であり、仲間全員でつかんだ勝利だと確信しています。

この記録が一游会の皆さまの誇りとなり、日々の励みとなれば、これ以上の喜びはありません。心より感謝を込めて、ありがとうございました。

 


房総連合大遠泳 第2回(通算3回目)に向けて

髙田 明夫(51回生)

房総連合大遠泳は、2023年に「第0回」として始まり、2024年に第1回が開催されました。2025年9月13日(土)から15日(月・朝解散)に予定されている第2回は、いよいよ通算3回目の節目を迎えます。

これまでの歩み

2023年の第0回は試みとして実施され、館山の海に再び「学校遠泳」の仲間が集結するきっかけとなりました。

2024年の第1回には、高橋文平(54回生)さん、佐々木幸一(57回生)さん、佐々木(辻)玲子(58回生)さん、私の4名が参加しました。遠泳後には石田竹雪(32回生)さんと共に館山市北条海岸前のイタリア料理店で食事を楽しみ、その後、石田さんのご自宅で歓談のひとときを過ごしました。遠泳では、先頭を務めた佐々木幸一(57回生)、佐々木(辻)玲子(58回生)の力強い泳ぎが印象的でした。他校の参加者からも「二人のリードで隊列が引き締まった」と高く評価され、九段の名を誇らしく示す結果となりました。

2025年の挑戦

そして今年、2025年9月13日から15日にかけて、第2回房総連合大遠泳が行われます。舞台は昨年と同じく館山市。新宿高校、立川高校、戸山高校、成蹊高校など、今も学校行事として遠泳を続ける伝統校が中心となり、新宿高校寮や立川高校寮を拠点に、世代を超えた参加者が集います。60代を中心に、20代から70代まで幅広い年齢層が揃い、今年も大きな盛り上がりが期待されています。

初日は遠泳の説明会が行われます。隊列を組んで泳ぐ意義、安全チェック、当日の体調確認による参加可否、そして海況による中止の可能性が説明されます。運営は「安全第一」を掲げ、各校が受け継いできた遠泳指導の精神を尊重し合いながら進められます。

 

コラム① 冗談交じりのやり取り

「脊柱管狭窄症で手術になり、今年は参加できません」(立川高校元校長)と連絡が入ると、仲間から「痛い痛いの飛んでけ〜」と返事がありました。シリアスな状況の中にも笑いが生まれ、安心感が漂います。別の場面では、新宿高校OBが立川高校寮の名前を「晴明寮」と間違えて書き込み、すかさず「清明寮だよ!」と突っ込みが入りました。こうしたやり取りこそが、この会のあたたかさを象徴しています。

 

海へ向かう準備

遠泳参加者の条件は「継続的に泳ぎ、2時間の隊列遠泳に耐えられる体力を有すること」です。水泳部出身者に限らず、オープンウォーターレースの経験者や試泳で力を示した人も参加します。今年も9月13日の試泳によって、正式に参加が認められる仲間が加わります。館山の漁協の協力を得て、和船一艘、手漕ぎボート2艘、伴泳、カヌー、レスキューボード(ライフセーバー)が泳者の安全を守ります。

 

コラム② 体調への気遣い

「風邪症状と腰痛で会合を欠席します」と連絡した仲間に対し、「どうぞお大事に」「無理せず快癒を目指してください」と温かいメッセージが届きました。中には「お酒を飲みたくならないので重体だ」というユーモアたっぷりのコメントもあり、すぐに「本番に向けて快癒目指して!」と返されました。体調への気遣いと笑いが共存する空気が、仲間をさらに強く結びつけています。

 

遠泳の後の楽しみ

遠泳を終えると、恒例の歓談と食事の時間が待っています。昨年は石田竹雪さんのご自宅での集まりが大いに盛り上がり、参加者全員が笑顔で語らいました。今年も同様に、仲間同士の交流が深まることでしょう。

夜には大宴会が開かれ、プライベートな話題から昔の思い出まで、尽きることなく語り合います。そしてクライマックスは、各校持ち歌の合唱合戦です。校歌、応援歌、愛唱歌が次々と披露され、手拍子や掛け声が響き渡ります。学校も世代も超えた歌声が重なり合い、会場は一体となります。

 

コラム③ 合唱の盛り上がり

「うちの校歌は負けない!」と声を張り上げると、隣の仲間が自然にハモリを入れました。合唱の輪が広がり、気づけば会場全体が一つの合唱団のようになりました。「また来年もここで歌おう」という声が自然に湧き起こり、歌声と笑い声が夜更けまで響き渡りました。

伝統を未来へ

房総連合大遠泳は、学校行事で培った「安全の知恵」と「仲間を信じる心」を大切にしながら、世代を超えて受け継がれています。冗談や励まし、体調を気遣う言葉、そして最後の合唱。すべてが「泳ぎきった仲間」としての絆を強くしています。

2025年9月、館山の海に再び仲間たちの隊列が広がります。伝統と友情が波間に刻まれる瞬間を、今年も全員で迎えようとしています。

今年の締め切りは終わりましたが、来年希望される方は、ご連絡ください。
(atakatajp@gmail.com)

(遠泳前日の打合せ。参加者の自己紹介もあります。)

(遠泳前日の泳力チェック)

 


(新宿高校寮にあるライフセービング機材)


2024年度の遠泳日程


2024年度の隊列表

(出発前、緊張と期待が入り混じる瞬間)

(遠泳終了後の記念写真)

(南房総市白浜の石田竹雪さんのおうちの前です。)

 


二〇二五年 夏を終えて

外部指導員・部活動指導員

一游会特別会員  木原 禀太郎

 

九段水泳部に外部コーチとして就かせていただき、十一年目になりました。十年ひと昔と言いますが、十年前と比べると部活の活動時間、試合の出場機会は減りましたし、合宿も春から秋(二泊三日)になり、至大荘も形式や実施内容が変わりました。

何より生徒たちは十歳違う別の世代であって、全く違うタイプの子供たちと接しているように感じますし、子供たちも随分変わったなと思うと同時に、私も長くいるんだなと気付かされます。

私も当然歳を重ねてきたわけですが、十年前とは生徒との向き合い方や指導の仕方も変わってきた、変えてきた部分はあります。もちろん指導に当たって、私なりの軸はあるので変えていないところもあります。

なぜこういう話から始めたかと言うと、十年前もその途中もそして今年も、十六校における九段生の想いやそこにかける情熱、集中力、そしてパフォーマンスが変わらないということです。

直前まで今年は大丈夫かなと心配することがあっても、生徒たちは本番では私をびっくりさせる気持ちと泳ぎを見せてくれます。

生徒たちの思考や生活スタイルが変わっても、一つ上、二つ上の代の背中や姿を見て影響を受け、自分たちもやるんだ、やれるんだという思いが芽生え、それが一代ずつ下へ下へと着実に受け継がれてきている。これが九段水泳部の伝統であり強みなのだと思います。

 

七十一回大会の結果は男子総合三位、女子は十一位(出場五人)、ベスト率は八八%。全員が全てを出し切って素晴らしいレースばかりでした。

 

最上級生の十七回生は七人。顧問の堀川先生曰く、全員が優しい代。私の印象は良くも悪くも緩いが楽しむこと、全力で取り組むことには長けていて、ノリが良く勢いがつけば力以上のものが出せる代です。この代の男子は中三で関東中学に出場していて、その時もノリの良さ、雰囲気を楽しもう精神で入賞まで果たしました。今思えばそういう経験が最後の十六校でも生きたし、この代らしさを体現してくれたと思います。

部長の池田歩太は、その関東大会に出場していない唯一の男子で本人も忸怩たる思いで続けてきたと思うし、地道に努力を重ね、その人間性も評価され部長になりました。そして部長になってから、さらに人間的に成長をして水泳でも伸びましたが、一年後に本当に逞しく頼れる人間になったと思います。十六校での池田は素直にかっこいいなと感じました。

女子も二人で紆余曲折がありながら最後まで二人でやり通したこと、出し切って終えられたことは本当に良かったと思います。

この姿、また十七回生のパフォーマンスや言動は十八回生以下は見て聞いたはずなので、新しい代がまた受け継いでいいチームを作ってくれると信じています。

 

今年は中学生も活躍、確かな成長が見られました。三年女子の佐久間玲、二年男子の羽田安吾の二人が都中学大会で全国標準を突破し、鹿児島県で開催された全国中学大会に出場しました。二人とも全国の舞台で堂々とした泳ぎを見せてくれました。私自身が出場して以来、三十七年ぶりに指導者として全国中学の場に来れたことは感慨深く、二人の生徒には感謝の思いでいっぱいです。

 

十六校の前哨戦の位置付けとして定着した十二中戦でも、ベスト更新者がたくさん見られ、日頃の練習の成果、積み重ねが大いに発揮された大会になり、中学生の可能性、成長の手応えをしっかり感じることができました。

また十六校での応援が素晴らしく、先輩たちはとても心強く、背中を押してもらえたと口を揃えて言っていました。

中学生もこれからの成長がとても楽しみです。

 

十六校においては、多くのOBOGの皆さんが応援に駆けつけていただき、ありがとうございました。お礼申し上げます。また日頃からのサポート、ご支援にも大変感謝しています。皆さんのご尽力がなければ水泳部の活動、活躍もありません。生徒たちはかつての皆さんと同じように水泳に愛情と情熱を注ぎ、精進しています。

今後も同様のご支援と応援をいただけると幸いです。またOBOG交流の場でお会いできることを楽しみにしております。

 


 

中等卒業生の動向

84回生 飯島 瑠玖

 

ここ二~三年を振り返り、嬉しい出来事が三つある。

一つ目は、中等卒業生の懇親会が増えたこと。特に、昨年秋に行われた周年パーティーの二次会には、中等三~十四回生まで二十名を超える卒業生が参加した。干支が一回りするほどの年齢幅であったが、九段での楽しい思い出話を語るなど、楽しいひと時を過ごすことができた。また、中等十回生の代までお世話になった、藤森先生や會田先生を囲む会を行うなど、顧問の先生方とのつながりも今なお大切にしている。

二つ目は、中等水泳部卒の至大荘助手が増えたこと。コロナ禍前までは、水泳部出身の若手游泳助手がほとんどおらず、他の部活動出身の卒業生に支えられている状況であった。近年は、至大荘行事に興味をもつ卒業生も増え、今年は四卒の和泉田、新卒の梶木、新沖、覺井などが守谷海岸での練習や準備に参加している。ここ数年、至大荘行事のあり方が見直されており、従来の助手活動ができていない状況ではあるが、今後も行事を支えていく存在であってほしい。

三つ目は、十六校の大会運営に関わる卒業生が増えたこと。各役職のサポート役として、中等十回生の加藤、副審判長として、十三回生安井、十四回生八木、十六回生仁川、計時主任として、十三回生和泉田など総勢十一名が競技役員として参加した。競泳審判員資格を取得していない者が多いので、今後は資格を取得し、来年度以降も十六校の運営の中心として活躍してほしい。

今後も一游会の活動を通して、同期や先輩・後輩との親睦の向上を図ってほしい。

十六校役員の卒業生たち


新入会員紹介(一游会九十六回生・中等十六回生)

 

石川 裕貴

石川くんは皆から人気のムードメーカーである。練習中、一緒に居るチームメンバーと分け隔てなくワイワイ楽しく話している所を見かけることは少なくないだろう。

また、そんなチームのムードメーカーでありながら、個人の泳ぎとしては、部門でメンバーに負けない泳ぎで後輩からの信頼も高く、チームを引っ張っていた。また、勉学も堪能であり、スポーツと勉強の両方の面においてオールラウンダーなのである。そんな彼のこれからは、何でも出来る出来杉君の様にどんな事に対しても対応できる、順風満帆な未来を期待する。

 

覺井 悠

十六回生女子を泳力で引っ張っていた覺井。練習内外でよくニヤニヤしている姿が印象的でした。背泳ぎを専門としており、中学時代には関東大会にも出場しました。彼女が高校生になってからは同じコースで練習することが多く、中々タイムが出ずもがいている姿をよく見ていただけに、ラストの十六校でベストを出している姿は感動的でした。大学でもポテンシャルを活かし泳ぐことを続けてほしいですね。

 

梶木 基陽

梶木(兄)は今も部活に来ては現役さながらの泳ぎを見せる実力者です。現役時はスイミングクラブには通わずともメキメキと実力を伸ばし、十六回生を代表するスプリンターへと成り上がりました。十三回生の安井一成さんのようですね。また、所々生意気な部分はありますが、先輩から可愛がられ、面倒見も良いため、後輩からも慕われていました。彼の愛される人間性は今後も周りの人々を魅了していくでしょう。

 

菊地 泰輔

十六回生水泳部のエースといえば泰輔。JOや関東中学を経験している程の実力の持ち主です。そんな彼でも中高六年間は紆余曲折の日々。競技だけでなく、勉強、人間関係、恋愛など様々な面で浮き沈みがありました。だからこそ、彼には生々しさというか「人間味」を感じるんですよね。全部とは言いませんがどちらかといえば、アメ投げときゃ寄ってくるタイプです、、、(賢いからムチは効きません、回避してきます。)大学生になって、新たな環境でどんな活躍を見せてくれるのか、非常に楽しみな存在です。

 

坂本 あかり

あかりさんは部活の中でのお姉さん的な役割を果たしている人物である。後輩からの信頼がとても厚く、また先輩からも人気である。部活内での彼女はいつも、明るく周りのメンバーを活気づけている。

また、本人も六年間の中で一貫して、一つの泳ぎにこだわるストイックな一面もあり、優しいお姉さんでありながら、頑張り屋さんでもあるのだ。そんな彼女は、きっと今後もあらゆる人から人気である事間違いなし。

 

新沖 弘志

ぬいぐるみ大好き新沖。えへへへ〜と笑う姿が一際印象的でした。中学時代は山口先生コースで基礎を固め、高校時代は中長距離の自由形を専門としていました。そんな彼は最後の十六校を体調不良のため出場することができず、大きな爪痕を残すこととなりました。現在、ライフセービングに勤しんでいるそうなので、大学生活では嬉しい形で爪痕を残してほしいですね。

 

仁川 さつき

十六回生随一の秀才、仁川。背泳ぎや個人メドレー、中距離の自由形など様々な種目をバランスよく泳ぐ選手でした。そんな彼女はパッションもあり、練習で自分を追い込むだけでなく、自重の筋トレにもよく取り組んでいました。素晴らしいですね。新沖と同じく、大学ではライフセービングをしているそうなので、仁川らしく充実した大学生活を送ってほしいです。

 

村松 晃太

村松くんは、溢れんばかりの責任感と自分のみならず他人の為にも努力が出来るシャイボーイ。一見、お調子者のように見えるかもしれないが、実際は十六回生の部長として仲間の為にいつも必要な事を考えて動ける冷静な思考も兼ね備えている。そして、個人の努力としても、部活での六年で最も成長を遂げた一人と言っても過言ではないと言える。

期待を寄せられる場面でしっかりと結果を出せる村松君はこの様に、実は努力の鬼なのである。今後の村松君には、この才能から生まれる産物に大きな期待を持てること間違いなし。

 

表紙・文書作成 95回生 関根 楓真

高橋 慧

南 慶汰

 

 


 

至大荘行事と卒業生の関わり

髙田 明夫(51回生/一游会会長・菊友会理事・学校経営評議会委員)

九段の伝統行事である至大荘は、卒業生にとっても在校生にとっても特別な意味を持つ行事である。卒業生OB・OGによる後輩支援の精神は九段の大切な財産である。私は一游会会長として、菊友会理事、学校経営評議会委員として、この2年間、至大荘の「助手(卒業生の参加)」の在り方についての議論を見守ってきた。ここでは、その経緯を整理しつつ、今後の方向性について会員の皆様に共有したい。

この2年の流れ

2023年、コロナ禍を経て至大荘が再開されたが、従来の4泊5日から短縮実施(2泊3日)となった。その後、学校側では2024年2月に「行事を持続可能にするための検討委員会」が設置され、安全確保や法的責任の明確化が大きなテーマとなった。その過程で、従来の卒業生助手ではなく、日本ライフセービング協会など外部団体へ委託する案が示され、結果として游泳助手の参加はできなかった。

議論の中では「卒業生助手は事故時の責任が不明確」「ライフセーバー導入による安全強化」といった理由が学校側から説明される一方で、「卒業生による伝統の継承」「隊列指導などのノウハウの蓄積」「後輩への精神的な伝達」といったOB側の価値も強調された。教育委員会や千代田区議会でも取り上げられ、関係者の間で協議が続いている。

現在の状況

2025年の夏には、ライフセーバーを中心とした体制で行事が実施された。しかし台風接近による高波を理由として第一期の途中で行事全体が中止となった。さらにカムチャッカ半島地震による津波警報により、後期は行事全体が中止となった。安全と伝統の両立の難しさが改めて浮き彫りになった。現在も学校・教育委員会・菊友会の三者協議で、卒業生の参加形態について調整が進んでいる。資格を持つOBが協会を通じて関与できる仕組みや、浅瀬での限定的な指導などが行われたが、引き続きあるべき姿への模索が継続されている。

一游会としての姿勢

一游会は、先輩として指導助手を輩出し続けている。至大荘行事は「九段生の通過儀礼」として継続していくことを支援する立場にある。特に一游会会員の泳力や水泳に関する知識、能力は、抜きんでている。至大荘における游泳安全第一は当然であるが、伝統の継承や後輩への指導は、外部委託だけでは代替できない部分がある。卒業生が安全な枠組みの中で引き続き関わり、行事を支える仕組みを整えることが重要である。

また、菊友会や法人九段との連携を深め、学校と建設的に協議を続けることが必要である。至大荘100周年を迎えるにあたり、私たちOB・OGが「伝統を守り、未来へつなぐ主体」であることを示していきたい。

若手への期待

最後に、若い世代の会員に期待を伝えたい。至大荘で得た経験や学びを、後輩に還元していく立場になってほしい。関わり方は変わっていくかもしれないが、伝統の火を絶やさず、後輩とともに新しい時代の至大荘を形づくる役割は、皆さんにこそ担っていただきたいとおもいます。よろしくお願いいたします。


2023
年7月~2025年8月までの経緯

(各会議の発言主旨は、公表されている資料を元に作成しています。)
2023

  • 7月31日(前期至大荘退荘式)
    コロナ禍後初の再開として2泊3日で実施。総括校長は「本来は4泊5日であり、来年度は4泊5日で実施する」と4年生に向けて述べた。
  • 12月14日(日本水難救済会)
    総括校長・副校長が来訪し、遠泳や水難防止教育について意見交換。安全確保に同会が協力していくことがSNSで発信された。

2024

  • 1月12日(菊友会理事会)
    学校側より至大荘行事あり方検討委員会(1~3月に開催)への女性理事の派遣要請があり、菊友会理事が参加することとなった。法人九段事務局長も加わった。
  • 2月26日(第1回検討委員会)
    「持続可能な至大荘行事」を目的に開催。日本水難救済会、大学教授、菊友会理事、法人九段、PA代表らが参加。
  • 3月6日(学校経営評議会)
    委員(髙田)によるアンケートで「2024年度は4泊5日を前提に検討してほしい。同窓会としても協力する」との要望が示された。
  • 3月18日(第2回検討委員会)
    卒業生助手の立場の不明確さや保険制度の不備が指摘され、ライフセーバー委託の可能性が議論された。勝浦ライフセービングクラブや日本水難救済会との連携方針も説明された。
  • 4~5月(菊友会・学校協議)
    菊友会はOB助手の行動規範案を提示し参加継続を要請。学校はライフセーバー委託を優先する姿勢を示した。
  • 5月28日(第3回検討委員会)
    医師確保の難しさが報告され、安全確保が最優先との方針を確認。ライフセーバー委託、生徒の資格取得促進、生活面の目的が改めて説明された。委員からは「先輩が伝統を伝える機会の意義」が指摘された。
  • 6月13~20日(医師確保)
    菊友会に至大荘行事に参加できる医師の確保要請があった。菊友会ルートで確保可能なことを学校側に伝達した。6/21の保護者向け至大荘行事説明会で医師の確保と予定通りの行事開催を説明。(ただし、菊友会確保の医師は使わず、学校側ルートで医師派遣が確保されていたことを事後的に知らされた。)
  • 6月25日(教育委員会報告)
    「游泳助手は要請せず、ライフセーバー委託に切り替える」旨を正式報告。責任所在や安全強化が理由とされた。教育長はOBへの丁寧な説明を求めた。

教育委員の意見主旨
・OBは長年熱心に参加してきた歴史があるため、変更に際しては丁寧に説明し理解を得る努力が必要。
・企画室を含め学校が主体的にOB・関係者に説明する体制を取るべき。
・安全管理強化には賛同するが、伝統や卒業生とのつながりを軽視しないよう配慮が求められた。 

  • 7月8日(千代田区議会文教福祉委員会)
    6/25の教育委員会に引き続き、「游泳助手は要請せず、ライフセーバー委託に切り替える」旨説明。委員からは、安全性強化のためのライフセーバー導入には賛成だが、伝統的なOB・OGとの交流機会を失わない工夫が必要であり、人数体制や役割の不安を補うためにも意見交換を重ねて進めてほしいなど、「伝統や交流の維持」「ライフセーバーとOBの役割の差」について質疑が相次いだ。
  • 7月20日(第4回あり方検討委員会・書面開催)
    決定事項はなし。
  • 7月27日~8月3日(至大荘行事)
    2泊3日×2回で実施。游泳では助手は浜辺から観察のみ。生徒との直接的な接触は行わなかった。
  • 10月11日千代田区議会予算・決算特別委員会

区議から、至大荘行事への卒業生参加について要望があるかの確認があり、子供総務課長からは未回答の旨説明。菊友会、教育委員会、学校と3者協議を行い、意見交換を行うことを説明。区議から以下の要求を教育委員会に行った。入山区議は「游泳助手は校長が委嘱してきた存在であり、第三者ではない」と指摘。伝統行事としての意義と教育効果を強調し、「ライフセーバー導入は否定しないが、OB・OG助手との共存を前提とした誠意ある協議」を教育委員会と学校に要請した。また、はやお区議からは、「至大荘行事は子どもの成長やOBとのつながりを生む大切な伝統であり、その継承は九段中等への移設時の約束だった。学校長の独立性は尊重しつつも、千代田区立である以上は教育委員会が責任を持って整合性を取り、地域や関係団体との約束を守るべきだ」と主張した。

  • 11月27日(学校経営評議会)
    委員(髙田)が「至大荘行事は九段生の通過儀礼であり、伝統的意義を軽視せず検討経緯を丁寧に説明してほしい」と要請。
    校長は「検討委員会は諮問機関であり、最終判断は学校側の責任で行った」と整理。安全管理と法的整合性を重視し、日本ライフセービング協会との連携に基づく体制を継続すると説明した。
  • 12月10日(三者協議:教育委員会・学校・菊友会)
    学校は「検討は既に済んでいる」との立場を示す一方、菊友会からは「新たな視点での先輩関与の可能性を探りたい」との申し入れがあった。結果として協議を継続することで合意。

2025

  • 3月14日(学校経営評議会)
    校長は「行事は長年続く重要行事だが、法令や労基法、判例を踏まえ、安全かつ法的に適正な形での継続が必要」と説明。津波リスクや過去判例を引き合いに出し、安全第一と法的リスク回避の立場を明言。
    OBについては「参加は歓迎するが、直接の指導には入れない。資格を有するOBが協会経由で関与する道は検討する」と述べた。
    委員(髙田)は「卒業生は長年、指導員不足を補い、隊列指導のノウハウを担ってきた。OBは校長委嘱を受けており、単なる第三者ではない」と反論。伝統的行事の意義や都から区への移管時の約束を指摘し、「情報共有不足」「三者協議の必要性」を訴えた。
  • 4月11日(三者協議)
    「日本ライフセービング協会資格を持つOBを助手として受け入れる」という大筋で合意。資格はレベルを限定せず、協会登録を必須としない方向で確認された。詳細は実務間協議で詰めることとなった。
  • 5月~7月(交渉継続)
    助手の参加形態をめぐり協議を重ねた結果、沖合での隊列指導は行わず、浅瀬での指導に限定。1日あたり6名(うち記録係1名)が委嘱される形で合意した。
  • 7月28~30日(至大荘行事)
    前期は実施されたが、29日午後に台風接近による高波のため游泳を中止。後期は開始前に全体を中止とし、生徒は東京を出発しなかった。
    また、30日にはカムチャッカ半島地震の影響で荘外の勝浦東急リゾートへ避難し、バスで東京へ戻るという対応が行われた。
    行事全体として安全確保は果たされたが、天候リスクや避難対応も重なり、今後の運営体制や卒業生関与の在り方について引き続き協議を要する状況となった。

以 上

 

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