52回生 井田 徹
去る2014年3月5日 同期の竹内 義雅君が亡くなりました。
4月に入ってから遅まきながらそのことが伝わり、既に納骨が済まされていることがわかり、 連休前の4月27日日曜日、急遽前後2代の人に声をかけてお墓参りに行ってきました。急な話であったにも関わらず、20人近くの人が集まり 故人の冥福を祈りお線香をあげてきました。
高校を卒業して既に30年、縁遠くなっていた中の急な連絡でした。既に故人のご両親もご他界されており、独身で兄弟もおらず、ご親戚のかたに連絡したところ 是非お墓参りにいってくださいとの話がありました。
急な話であったにも関わらず20人近くの人が集まり、彼の人懐こい笑顔や、あの豪快な笑い声が思い出されました。 また集まった後輩の面々を見て、現役時代、助手時代を通じて、彼の面倒見が良かったことを改めて、思い出しました。
いくつか 彼の思い出話を書いて、ご冥福を祈りたいと思います。
・水泳部現役時代
水泳部では同期の大半が素人か素人に毛の生えた程度の人材が多い中、入部当初からバック陣として活躍していました。当時は2、3年の男子が多く選手として大会に出るだけでも、大変なことでしたが、彼は1年から試合に出ており、また2、3年では4混継のトップバッターとして活躍していました。16高大会でも個人で決勝まで残っていたと思います。
現役時代でもへこみきらなかったおなかを浮かせて、悠々とバックを泳いでいるそれが泳いでいるときの彼の印象です。
私の代と次の代は人数が少なく、苦しいときも多かったのですが、彼の明るいキャラクターは水泳部にとってかかせない存在でした。
・水泳部以外での高校生活
彼は非常に多趣味、多才でした。彼が活躍していた舞台は水泳部だけでなく、漫研、厚生科学部に属し、また音楽もピアノに歌(彼の性格そのままの優しい声)が得意で、クラスのイベントでは常に中心にいました。
何の機会かは忘れましたが、バンドでピアノを弾いたり、3年の時の映画では 自主制作の主題歌を甘い声で歌っていました。通常素人が歌っていれば分かるものですが、彼の歌は映画の最後に流れていても、そのようなことは微塵も感じさせない域にいたと思います。当時は洋楽が盛んで、ビリージョエル、イーグルス、ドゥービブラザース等の話をよくしたことを思い出します。
・社会人になって
残念ながら最近はほとんど会うこともなくなり、縁遠くなっていました。そのような中思い出されるのは、また音楽の話になってしまいますが、私の結婚式で歌を歌ってくれたことでした。「We are all alone」私の世代では名曲のこの歌をきれいな声で歌っていたのが思い出されます。俺のときは頼むねと言われたのはいつだったか。
最後に最近の彼の様子がFACEBOOKで竹内義雅をサーチすると出てきます。直前まで毎週のように載せており、彼が元気に暮らしていたことがわかります。 一定以上返信がないと消されてしまうと思いますので、ここ最近の彼の写真が載っておりよろしかったら見てください。
最後になりますが、今回の連絡が急な話だったことと、分かった以上すぐにでも行かなければとの思いからあまり多くの人に声をかけずに、お墓参りに行ってしまいました。
寂しがり屋の彼のために、是非皆様にも行っていただきたくよろしくお願いいたします。
また 行くから機会を作ってくれとの話であれば、私か、同期の高田悦子まで連絡をいただければ機会を作りたいと思います。
よろしくお願いいたします。
墓所:大田区池上 曹禅寺、大乗霊堂位牌堂